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カーネーションの歴史編

一般社団法人日本花き生産協会

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日本のカーネーションのはじまり

日本に初めてカーネーションが持ち込まれたのは、江戸時代初期以前とも言われ、『地錦抄録』(1733年)には、徳川家光の時代にオランダからカーネーションが伝来したと書かれています。また、栽培を目的にカーネーションが日本に上陸したのは1909年の東京。アメリカのシアトルに住んでいた澤田氏が3品種をもって帰国。当時、東京市の外中野町に小規模な温室を作って試験的に栽培が始まり、これが国内でのカーネーション生産の第1号となりました。

しかし、澤田氏のカーネーション栽培は事業として定着しなかったため、『カーネーションの父』と呼ばれる土倉龍次郎にその志が引き継がれ、翌年の1910年、土倉は東京目黒駅前の土地を購入してカーネーション栽培がスタートしました。当初、イギリスやアメリカから輸入した品種は高温多湿な日本の気候に適さなかったため、土倉自らが品種改良に着手し、生涯をかけて30品種以上を作出したといわれています。

また、カーネーション栽培において特筆すべき存在なのが、今日の温室栽培を日本に普及させた犬塚卓一です。犬塚は明治時代からアメリカでカーネーション栽培を学び、1925年に多数の品種や米国式温室などの栽培技術を持って日本に帰国。現在の世田谷区にある玉川温室村にて温室栽培が始まり、多くの温室経営者が彼のもとで学んだといわれています。近代カーネーション栽培の技術はここで確立され、カーネーションも園芸花きとしてその地位を築いていきました。

大日本カーネーション協会発足

1932年に土倉龍次郎が会長、犬塚卓一が副会長となり、東京・神奈川・愛知・兵庫の会員らとともに大日本カーネーション協会が創立されました。そして1934年2月、東京三越本店で第1回目のカーネーションの品評会が開催されます。当時の展示内容は134点の展示品、55点の試験品、10点の参考品など、計200点で行われたとされています。

国内初の品評会を東京三越本店で開催する姿勢は、現在の生産者が見習うべき精神といえるでしょう。当時まだ知名度も高くないカーネーションが世間から注目や評価を受けることは非常に重要だったと思われます。東京三越本店からスタートした品評会は脈々と受け継がれて、現在では各県でも品評会が行われており、東京で行われている「関東東海花の展覧会」の参加地域は1都11県で、日本最大規模の品評会となっています。

白いカーネーションから始まった母の日

母の日が如何にして始まったのか―。これは、遡ること1907年、アメリカのフィラデルフィアにて、アンナ・ジャービスが亡き母を偲んで白いカーネーションを祭壇に飾ったことが始まりとされています。これ以降、アメリカでは白いカーネーションが母の日のシンボルとなり、1914年、アメリカでは正式に5月の第2日曜日を母の日と制定しました。日本に伝わったのは大正時代で、青山学院大学の3人の女性宣教師によって普及し定着したといわれています。彼女たちの貢献が実を結び1932年、日本で初めて母の日が公式行事として祝われ、今日の母の日のセレモニーに繋がっているのです。母の日は赤いカーネーションのイメージがありますが、実は白いカーネーションからスタートしたのです

カーネーションで国を平和に

カーネーションも他の農産品と同様に国産と輸入物の存在があり、海外からのカーネーションの輸入割合でみると、コロンビアが最も多く、中国、エクアドルと続きます。

コロンビアの花き生産が好調なのはその気候帯にあります。フラワーベルトという地域帯の中にあり、赤道直下でありながら標高が高いために涼しく、年間を通してカーネーション栽培に適した気候になっているのです。国として花の生産に力を入れるのは気候面から見ても理に適っていますが、それ以外にも事情があるようです。

コロンビアではそれまでの社会情勢不安から、農家の貴重な収入源としてケシ栽培がありました。農家は一時的にケシ栽培で収入を得ることはできましたが、それではいつまで経っても社会情勢不安から抜け出すことはできません。しかし、同じ植物栽培でも花の生産で稼げるようになれば、経済発展と治安良化をもたらすことができる—。こうして、コロンビアは国を挙げて花の生産を推進し、コロンビアのカーネーションは国を代表する農産品となったのです。こういった背景から、コロンビアの生産者は『花のチカラで国を平和にする』という信念があると話していました。

カーネーションに込められた願い

花は卒業式や結婚式、葬儀などの人の節目、節目に現れ、楽しい時はより華やかに、悲しい時は人の心を癒すようにセレモニーの席で飾られます。花の生産者であれば誰もが、どのようなシーンで自分達が育てた花が使われるのかを想像しており、そこにいる人々を笑顔にできるようなカーネーションを丹精込めて育てています。

祝いの席はより華やかに、悲しみの席には人の心を癒すように…。市場に出ていく花達に、まるで親が子を見送るように『頑張ってこいよ』という思いを込めて出荷しています。コロンビアのカーネーションには平和への信念が宿り、日本のカーネーションには人々を癒し、笑顔にしたい、という生産者の願いが込められているのです

同じ船に乗った仲間

輸入カーネーションは、母の日などの国内の特需において、国産の供給が足りない部分を補ってきた存在でした。こういった状況にコロンビアの生産者は『日本の生産者には頑張ってもらいたい』と言います。『日本の生産品はクオリティも高く、市場の評価も高い。だからこそ高品質なカーネーションを高い値段で取引きできるのが日本市場の特長。日本の農家が衰退して粗悪品が市場に参入するのはコロンビアも歓迎しない。だから日本の生産者には高いクオリティを維持してカーネーションの市場を一緒に守って欲しい』とコロンビア生産者は日本の生産者にエールを送ってくれました。日本とコロンビアはカーネーションの品質を高め合うライバル同士であり、花の経済を盛り上げる同じ船に乗った仲間でもあるのです。消費者、生産者、そしてカーネーションの未来のためにも、コロンビアのカーネーションとも協力しながら花の市場を盛り上げていきたいですね。

 

 

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