202311.14
STORY#3045
旬の用途・イベント
ユリの花について
ユリ(百合)は北半球のアジアを中心にヨーロッパ、北アメリカなどの亜熱帯から温帯、亜寒帯にかけて広く分布しており、原種は100種以上、品種は約130品種。 日本には15種があり、7種は日本特産種です。山岳地帯を含む森林や草原に自生することが多いのですが、数種は湿地に自生しています。日本の園芸では秋植えの球根草として扱われます。 代表的な種に、ヤマユリ、オニユリ、カノコユリ、ササユリ、テッポウユリ、オトメユリなどがあります。 ユリは花姿や草姿、開花期などがさまざまで、多くの園芸品種があります。減少したとはいえ、日本には、ヤマユリやササユリ、テッポウユリなどが野山に自生しており、古くから愛されてきました。庭植え、鉢植え、切り花に加え、ゆり根を食用にするなど、さまざまな楽しみ方があります。 交配してつくられた品種には、大きく分けて、オリエンタル系(オリエンタル・ハイブリッド)とスカシユリ系(アジアティック・ハイブリッド)の2つの系統があり、このほかテッポウユリ系やササユリやヒメサユリなどの野生種がよく栽培されています。晩夏に咲くタカサゴユリは台湾原産ですが、日本の道端などで旺盛に繁殖しているのをよく見かけます。 現在、切花の全国生産量上位の産地は、新潟県。2位は高知県、3位は埼玉県となっています(令和3年度作付面積上位の産地より)
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日本のユリの歴史
昔から、日本には美しいユリの自生地が非常に豊かであったので、ユリの栽培記録はほとんどなかったそうです。 どちらかといえば観賞用ではなく、救荒植物としてヤマユリやオニユリ、コオニユリが食用として用いられました。 観賞用として用いられるのは、室町時代に入ってからでスカシユリ、ヒメユリが茶の湯や、挿し花等に用いられていました。江戸時代に入ってからは、庶民が庭先の鉢植えとして楽しんだようです。 明治頃には、海外でユリが注目されたのをきっかけに、営利目的の花き生産がはじまりました。大正の半ばからは、温室で切り花を目的に栽培するようになるなど、歴史をたどってきました。
救荒植物とは、飢えをしのぐために間に合わせに食料として利用される植物のことを言います。
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世界におけるユリの歴史
ユリは、はるか有史以前から、非常に長く世界中で親しまれてきたようです。 キリスト教では聖母マリアの受胎告知をテーマにした多くの絵画で、ユリの花を捧げる天使の構図が描かれているものもあります。それらのユリは、欧州原産のマドンナリリーという品種ではないかと言われているそうです。
日本から「鉄砲ユリ」がヨーロッパに渡ると、白いテッポウユリとそれまでの「白いユリ」を区別するために「マドンナリリー」と呼ばれるようになっていったそうです。日本語名は「ニワシロユリ」と名付けられています。
日本でも、弥生時代にはすでに球根が食用にもなっていたことがわかっており、観賞用としても、奈良時代頃にはすでに絵画に描かれ、万葉集にもユリが詠まれるなど、人々に愛されていたようです。
シーボルトらが球根を持ち帰った?
日本固有の種が、その後のユリの品種改良の始祖となっているようで、そのきっかけは江戸時代末期の1800年代中頃にドイツ人医師・シーボルトなどが植物を調査する過程でカノコユリやヤマユリなどの球根を日本から持ち帰ったこと言われます。 その後、すでに欧州で評価されていたテッポウユリを始め、ヤマユリ、カノコユリ、スカシユリなどの球根が人気を集め、生糸と並び日本の外貨獲得の手段となりました。世界中のユリの中でも、日本固有のユリが、花の大きさや、上や横を向く花の咲き方などの点で、際立って美しかったことが理由と考えられています。
参考資料 https://www.lily-promotion.jp/ TOPページのユリ:百合の滝沢様提供
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